年表

年月日記事主催出典
大正5年
(1916)
 
3月18日 地洋丸にて、横浜へ来日。25歳(23,24歳あり)。
 
  
3月28日 国民飛行会(長岡外史会長)主催の歓迎会に出席。
 
  
4月1日 千葉県国府台練兵場に於いて機体組立て開始。
 
4月4日 組立て完了。
 
  
4月5日(水) 千葉県国府台練兵場にて試験飛行。
午後2時、白い作業服を着て機体に乗り込み、午後2時40分、離陸。高度600mにて宙返り3回、螺旋降下2回、横転1回。垂直降下後に着陸するも、その時右車輪を小破。修理後、さらに発動機を付替え、午後4時20分離陸、宙返りなどを行って、4時35分に着陸。見物人は数千に達し、隈元中将、木下少将、追浜海軍基地よりの飯倉大尉、山本中尉、桑原中尉ら。
 
東京朝日新聞
4月6日(木) 昨日に続き、千葉県国府台練兵場にて披露かたがた予備飛行。
本日は背広にてハンティング帽を逆さに被り、正午に離陸。逆転、宙返りなどを行い、15分の飛行。午後1時20分にも離陸し、同じく15分の飛行時間。
 
東京朝日新聞
4月7日(金) 昨日に続き、千葉県国府台練兵場にて予備飛行。
昨夜からの徹夜作業にて朝の5時に組み立てあがった新飛行機を披見。見物人は1万人にも達し、その中には所沢からの徳川大尉、澤田大尉、坂本中尉らも。
飛行は古い方の飛行機で、正午に離陸。宙返り10回、螺旋飛行2回など。この後、明日に備えて青山練兵場までの飛行予定だったが、10mの向かい風のため、貨物自動車にて運搬。
 
日記から、東京朝日新聞
4月8日(土) 午後、東京府青山練兵場にて飛行大会、2回飛行。
観客12万人以上、その中には奥元帥、島村軍令部長、箕浦逓相、加藤前外相、仙波・長岡両中将、金子少佐、徳川大尉らの海陸軍飛行将校、尾崎行輝、坂本寿一氏らの各飛行家。伏見宮、山階宮、華頂宮、淳宮、高松宮両皇子の台臨あり。
大正5年4月8日 青山練兵場にて尾崎行輝氏と握手 紺地の背広に十数個の金メダルを輝かせながら鳥打帽を逆さに被り、午後1時55分離陸。観客の頭上を旋回しつつ高度800mに達し、翼上の仕掛け花火を点火して黄煙をなびかせつつ宙返り、逆転(連続9回)、螺旋降下、高度300mの高度から再度逆転し、螺旋降下して2時10分着陸。着陸後、櫛引弓人支配人とともに両皇子の前に召されて握手を賜る。また、伏見宮、他宮からも握手、お言葉、金一封のご下賜金を賜る。
 午後2時45分より3時半まで豆自動車5台による競争。
 午後4時、二回目の飛行。1,200mの高度にて6回の逆転などを行った後、機上の花火を利用して「P2」と描き、両皇子に表敬。螺旋降下、逆転(4回)、横転、決死降下から、4時20分に着陸。

 飛行後の帝国ホテルでの入浴後、「表敬のためP2を描いたが、1000m以上の高空においても非常に気流の変化が多く、始終機体が動揺するので完全に描くことが出来なかった。一体、東京の地は山岳地に遠いので気流の返還が少なかるべきはずであるが、300mから800mくらいは実に気流の変化が多い。このような変化は自分の郷里のフォートウェインの山地でもいまだ経験せざるところである。かかる悪気流の空中で日後述を習得したなら世界の何れの地でも大丈夫であると感じた。尚、晴天であったため、1200mの空中から俯瞰した東京全市は、恰も大公園を望むがごとき美観を呈した」と語る。
 日記から、東京朝日新聞
4月9日() 東京府青山練兵場で、2回飛行。
日曜日ということで前日以上の人出、「電信柱にも花が咲く」の新聞記事。閑院宮、東久邇宮、山階宮、李王世子らの台臨あり。
尚、予定されていた夜間飛行は、警視庁の許可が得られず中止。
 午後12時50分、腹にアートスミスと書いた赤い豆自動車に載って鳥打帽を振って観客に挨拶。午後2時20分離陸、場周囲を三周し高度1,300mに上昇。2時30分、両翼後方に付けられた花火より黄煙を引きつつ宙返り7回、横転5回、降下して高度150mからの宙返り2回、横転を行い、2時35分着陸。長岡中将から花環を贈られ、各皇族よりの握手を賜る。その後、自動車にて場内を一周。
 豆自動車競争後の午後3時50分、2度目の離陸。1,500mの高度にて4回の宙返り、TOKIOを黄煙にて描いた後に急転直下し、4時5分、そのまま着陸。
 
 日記から、東京朝日新聞
4月10日(月) 東京府青山練兵場で、1回飛行。
この日は朝からの烈風が吹き、青山原頭で秒速32mの中飛行を強行。
 午後3時飛行準備にかかり、ワイルド、カイゼル両技師の点検後、飛行眼鏡をかけて、3時20分に離陸。離陸後12分にて高度800mに達し、風向に逆らって高度600mに落として宙返り、逆転3回、螺旋降下、逆転(2回)、決死下降にて、3時35分着陸。長岡中将、田中館博士らは「わが飛行界の大恩人」と叫びながら抱きつき、田中館博士は嬉し涙を零して「世界記録を破った」と激賞。
 尚、カイゼル技師は権田原側のトラックにて豆自動車を運転中、砂塵のため方向を誤り、散水中の赤坂区散水夫と衝突し、左足を骨折させる。技師は治療代・見舞金を贈呈し示談に。
 
 日記から、東京朝日新聞
4月24日(月) 兵庫県の鳴尾競馬場で飛行大会。2回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から
4月26日(水) 同じく、鳴尾競馬場で飛行大会。3回飛行。27日には夜間飛行(1回)を行う。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から
5月1日(月) 名古屋港6号地(名古屋市熱田の東築地)で、飛行大会。2回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
新愛知、名古屋の両新聞日記から、あいちの航空史
5月3日(水) 名古屋港6号地で、飛行大会。2回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から、あいちの航空史
5月5日(金) 名古屋を朝発ち豊橋へ。そこの十八連隊練兵場で、飛行大会。観衆5万。午後に2回飛行。
 午前10時、豆自動車の競争。
 正午過ぎに離陸、場内上空を周回しながら上昇い、高度3,500フィートへ。機尾に取り付けた煙火に照らされて二條の黄煙をなびかせつつ、宙返り6回、逆転12回、横転2回、狂乱飛行()など10数回、暫時高度の下がった500フィートから最後の宙返りを行った後垂直降下して、12時25分着陸。その後、松井知事、山本市長代理と握手し、山本氏から花環を贈られる。
 午後3時再び離陸、高度1,000フィートで場内上空をS字飛行しつつ上昇。高度を4,400フィートにまであげ後尾より黄煙を吐きつつ横転3回、逆転16回、高度2,500フィートにおいてダンス飛行をなし、そのまま降下して地上スレスレで引き起こし、3時15分に着陸。午後4時より、豊橋ホテルで官民合同の歓迎会に出席。
 日記から、新愛知、参陽新聞
5月6日(土) 奈良の歩兵第五三連隊練兵場で飛行大会。2回飛行。市長から花篭を贈られる。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から、大阪朝日新聞(紀和版)
5月7日(日) 奈良の歩兵第五三連隊練兵場で飛行大会。終日雨で1回飛行したのみ。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から、大阪朝日新聞(紀和版)
5月8日(月) 奈良の歩兵第五三連隊練兵場で飛行大会。1回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から、大阪朝日新聞(紀和版)
5月11日(木) 京都の深草練兵場で飛行大会。1回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から
5月12日 午後2時版、京都から大阪に着。 大阪朝日新聞
5月14日( 大阪西区市岡中学校東広場にて、飛行大会。15日も予定され、入場料は、普通一人15銭、学生5銭で、場内に4万、場外の無銭見物者は15万とも。
尚、この飛行大会は、『日記から』には記載されていない。
 午前10時から飛行の予定であったが、場内に設けた競争路が柔らかいため飛行機と豆自動車の競争はできないとして、午前10時40分に余興の人力車競争、その後、豆自動車(8号、10号)2台の競争、第2回人力車競争、自転車競走と続いたが、スミスは12時になっても姿を見せず。次第に怒号が起こり始めるが、延期理由を示さずに車夫競争などを繰り返すので騒ぎになる。主催者側からスミスの滞在ホテルに電話をかけ、午後1時からの飛行の段取りにしたが、制止を振り切って東の観覧席の一角が崩れ、雪崩を打って場内に。「早く飛べ」「入場料を返せ」と怒号が飛び交い、一人が「飛ばない飛行機なら壊してしまえ」と叫び、投石などが始まる。ワイルド技師ら関係者は飛行機の保護に努めたが、野天のこととて叶わず。ワイルド技師はエンジンにズック製カバーをかけたが、頭に深手を負い、ちょうど駆けつけたスミスも擦過傷を頭部に負う。来場の長岡中将も「必ず飛ぶから、元の席に戻ってくれ」と帽子を振って制止を計るも叶わず、憲兵及び警官の召集を依頼。その来援を得て、長岡中将が機上に立って一場の揶揄演説を行い、飛行機周りの群集を押しのけたが、既に機体には上翼に3個、下翼に5個の穴があり、プロペラも一端が一尺ばかり裂け、尾翼も損傷。急遽、鳴尾まで飛んで修理することとし、1時50分プロペラを取り替えて、2時15分に離陸。
 スミスは「最初から午後1時半からの注文だった」とし、主宰者側も「午前10時と広告したのは、開場時間のこと」と嘯(うそぶ)いた。
興行者 雨森茂市大阪朝日新聞
5月16日 午前10時34分、大阪を発ち、富山に向かう。大阪朝日新聞
5月17日(水) 富山県富山市の練兵場にて、猛雨の中で1回飛行。飛行時間約8分、使用機は「カーチス式第2号」。午後の2回目の飛行は、密雲が低層にあるため中止。富山での再飛行を約束。
 
 日記から、富山日報
5月20日(土) 岐阜県岐阜市の練兵場にて、2回飛行(18日、19日と雨のため順延)。
服部岐阜市長からの歓迎の辞、市からの金メダルを贈られる。
大正5年5月20日 岐阜 午前中は11:07分に離陸、2000フィートで場内上空を一周、11:17には4000フィートの上空に於いて二條の黄煙を吐きつつ、20回の宙返り、8回のキルク抜き、3回の横転、5回のジョリーダンス等を披露し、11:21に1,000フィート上空のから急転直下して着陸。

 
 日記から、大阪朝日新聞(東海版)
5月21日( 石川県金沢市野村練兵場にて飛行。午後に2回飛行、雲が低く低空飛行に留まる。
大正5年5月21日 金沢 午後1時12分滑走を開始、離陸後上昇し、700フィートに至るも雲が低いため更なる上昇も叶わず、離陸後3分にて1,200フィートに。しばしば雲中に機体が隠れるもが、ここから逆転(5〜6回)、傾斜波状飛行、垂直降下して高度25mにて水平飛行、その後場内の観客上空を低空にて通過し着陸。飛行時間9分2秒
飛行後、太田知事(帝国飛行協会石川支部長)より花瓶を贈られる。その後、緑色の豆自動車に乗り込み場内を一周、その後技手ワイルド氏他2名は緑、赤、青の豆自動車にて競争を見せる。
 午後3時2分、第二回目の飛行。離陸後に急上昇し、高度1000フィートに。尾翼を下にして垂直になる空中の舞踏、逆転2回、横転4回、印度舞踏飛行(ジョリーダンス)、キルク抜き、落下的低空飛行などを行い、7分の飛行時間で着陸。
 飛行後、櫛引支配人が「今日の低空飛行は、鳴尾でも名古屋でも今朝のよりもずっと高かった」と語る。
尚、新聞記事では技手としてワイルド、ユエグリー、オリバー3氏の名前が見える。また、当時北陸新聞の記者だった東善作が本飛行大会を機会に、飛行家を目指す。

 日記から、北国新聞
5月22日(月) 石川県金沢市野村練兵場にて、好天の下で飛行。午後に2回飛行するも、観客は昨日の1/3に留まる。
 午後1時6分離陸滑走を開始し、高度800フィートにて場内を2周しつつ上昇、離陸後約10分にて最高高度4700フィートに。右ハンドルのボタンを押すや否や、下翼両端のスモークポットは発火・発煙、その二條の煙を引きながら、7回の連続逆転、横転・逆転を12〜3回、コルク抜きを2回、螺旋系の回転を行い、垂直降下して着陸、飛行時間13分。飛行後、金沢市の村田助役より感謝状と金メダルを贈られる。
 2回目は午後3時に発動機の推進力検査を行いその結果、回転計の故障を発見し修理。
3時15分に離陸、7分後に高度3800フィートに達し、黄煙を引きつつ逆転、横転、ジョリーダンス、錐揉み飛行。離陸後10分後に1800フィートの高度より急転直下、観覧場の屋根すれすれに滑走して、着陸。
 日記から、北国新聞
5月23日(火) 富山県富山市の練兵場にて再度の飛行。午後に2回飛行。観客数、約15,000人。
 午前12時過ぎ、列車にて富山に着。
 午後1時55分、離陸。高度50フィートにて場内を飛行、城山の空を旋回、離陸後4分で2,500フィート、8分後には4,000フィートに。片翼端より花火仕掛けの黄煙をひきながら、宙返りを2回、逆転9回、横転4回、ジョリーダンス、逆転4回で高度300フィートへ。500フィートに上昇してから急転直下から着陸。飛行時間、約17分。
 一回目の飛行後、稲垣富山市長より金メダルを贈られる。また記者団には以下と語る。
「前回の飛行は雨と雲で生きた心地のなかったに引き換え、今日はこの上もない飛行日和で快晴ですから実に愉快でした。4,000フィートの高空に上った時は全ての雲は却下に集まり、雪を頂いた日本アルプスの美麗なこと言語に絶し、越中の平野は既に水田となって太陽に輝いて白く見え、神通川は恰も銀の針金を伸ばしたように白く、その中に包まれ黒くかすん富山市は恰も絶海中の孤島のようで実に一服の図画であります。空中における快中の快は、日本海より吹きくる北西の風が日本アルプスに遮られおるため、練兵場頭の気流に大変化をきたし、渦を巻いて地より空に流れるので、飛行機は航せずして次第次第に上空に上っていくのでありました。」
 午後2時58分、離陸滑走開始。離陸7分後の高度4,000フィートから、翼端より一條の黄縁を曳きながら逆転を1回。続けて6回の横転・逆転から急転直下し、観客の頭上をかすめながら、両手を振って観客に答えつつ場内を一周して着陸。
 午後6時40分発の列車にて、大津へ向かう。
 日記から、富山日報、北陸政報
5月24日(水) 滋賀県大津市の練兵場にて、午後に2回飛行。
 第一回飛行は午後0時30分過ぎから飛行時間約15分、午後3時半過ぎよりの第二回飛行にてOTSUの写字飛行を行うも、黄煙薄く観衆からは明瞭に見えず。着陸後に大津市の書家三戸氏令嬢の佐智子さんより花輪を贈られる。

 日出新聞、大阪朝日新聞京都附録
5月27日(土) 岡山県岡山市の練兵場にて、雨の中1回飛行1回。
大正5年5月27日 岡山 午後2時40分飛行機を引き出し発動機試験。その後離陸し高度7〜800mにて横転、逆転、木の葉落としを続けざまに行い、観衆の頭上をかすめるような高度にて波状飛行。再上昇して空中滑走に移り、場内を一周して着陸。飛行時間約8分。

 
中国民報社日記から、山陽新報
5月28日( 岡山県岡山市の練兵場にて、午後に2回飛行。
市よりメダル贈呈の予定も製作が間に合わず、目録を贈られる。
 正午に発動機の牽引力試験し離陸、会場を2〜3周して4分後に2800フィート、5分後に3500フィート、更には4000フィートに。そこからキルク抜きを9回、錐揉り、横転、逆転、ジョリーダンスを行って、12時10分着陸。
 2回目は、午後2時30分に離陸。5分後に3800フィートに達した時、写真機を取りだして機上より練兵場を撮影。その後、宙返りを2回、横転、決死直下、1500フィートから500フィートに降下する木の葉落としを行って、2時40分着陸。

中国民報社日記から、山陽新報
5月29日(月) 広島県広島市西練兵場で飛行大会、午後に2回飛行。
第一回目の飛行後、大平楽社および佐伯シマ子より花環を贈られる。また、「広島は川もあり、街路も立派で綺麗な都会であると思います。飛行家が上空の気流を云々する必要はあるまいと思っております」と記者団に語る。この日は、国泰寺村の米国人フェアフォード氏宅での晩餐会の後、宮島に渡る。
 午前9時過ぎワイルド技師らが機体組立てに着手、その途中、豆自動車競走あり。正午の号砲の頃、機に乗り込み、午後零時1分、離陸。手を振りつつ場内を一周し、その後上昇、5分後には高度3,200フィート、広島城上空に達して3,800フィートに。左翼より白煙を引きながら宙返りを連続8回、逆転、横転、木の葉落とし、逆落とし、急転直下により観客の頭上をかすめて着陸。飛行時間9分。
 午後は3時15分より豆自動車2台の競技をはじめ、3時35分に離陸。3,800フィートまで上昇し、宙返り、逆転7回、さらに逆転3回、横転4回、逆転4回、急転直下し高度20フィートにて場内を一周し、午後3時45分着陸。
 尚、2回目の飛行中、写真器のレンズを飛行機より落とす。

広島市飛行後援会日記から、中国新聞
5月30日(火) 広島県広島市西練兵場で、昨日に引き続き飛行大会。
この日早朝より機体の塗替えを行い、支柱も翼下面も深紅に、翼上面には文字を白で書き、それ以外は黒に。
 午後0時37分、離陸。上昇しながらS字飛行を見せ、5分後に4,700フィートに。煙もなしに逆転を6回、機首を上に向けたまま発動機を止め落ちること500フィート(所謂、テールスライド)。高度2,500フィートにて発動機を動かして、逆落とし後にそのまま着陸。飛行時間、約8分。(この日のテールスライドは「日本に於て初めて完全に行ふ」とのこと)
 2回目の飛行は、豆自動車競走の後、午後4時20分から35分まで。4,000フィートの高度から逆転7回、テールスライド、横転、逆転、ジョリーダンス、高度800フィートから発動機を停止して急転直下、台覧の山階宮に表敬して低空飛行で場内を2周。

広島市飛行後援会日記から、中国新聞
6月2日(金) 東京の帝国ホテルで催された歓迎会に出席。午後は早稲田の大隈重信私邸で飛行協会主催の茶会に出席。
 
 
6月3日(土) 東京府青山練兵場(入場口は青山一丁目、及び稲の町停車場)にて飛行大会の所日、観客8万人。来賓に蜂須賀侯爵、土方伯爵、渋沢男爵、尾崎法相、山川東大総長、田中館博士ら、観客に黒田清輝画伯も。入場料は後援会の会員費(?)として、名誉会費は5円、特別会費は1円、普通会費が10銭。
2回飛行、飛行機は2台用意。
 午後2時より前後2回の豆自動車競走。午後3時に離陸。離陸後、急上昇して場を右手に旋回、旋回2回して離陸後5分で高度1,200mに到達。翼の一端から黄煙を吐きながら宙返り、黄煙の渦巻きの中に極度の小円を描いての逆転連続10回、横転3回、逆転6回、横転2回。高度300mに降りて宙返り3回の後、3時10分に着陸。渋沢男爵、尾崎法相、長岡中将らと握手。
 2回の豆自動車競走後の午後4時半、二度目の飛行開始。高度1,000mから連続4回の逆転をしつつ800mに降り、機首をまっ逆さまに立てて独特の独楽飛行を演じながら500mに降下、更に直下飛行にて地上5mに降りて水平に戻し、高度1mで場内を半周。4時41分に着陸。
追浜海軍飛行将校から直径5cmの大銀杯を贈られる。
 日記から、東京朝日新聞
6月4日(日) 東京府青山練兵場にて飛行大会の中日。午後に3回飛行。
午後1時までに入場者10万人。近衛師団下士卒2,000名、追浜より海軍飛行将兵全部、横須賀より在港軍艦乗組員水兵1,500名あり。
 午後零時半、赤色の自動車に乗って来場。長岡中将はそれを見て、馬車を駆って青山御所に伺候、本日の飛行について言上。皇太子殿下、淳宮、高松宮から、お言葉を貰う。
 午後2時、通訳の村田中尉の赤旗を合図に離陸。場内を3周し、5分にして高度1,200mに上り、二條の黄煙を曳きつつ10回の宙返り、空中舞踏。高度500mからキルク抜き、宙返り飛行。青山御所上空に至って、横転2回、両手の手放し飛行にて敬意を表す。台覧の三殿下は、長岡中将の説明を受けつつ、挙手にて答礼。高度400mから150mに急降下して、2時13分着陸。長岡中将は御所を退出、会場に戻り、殿下が殊のほかご満足に思し召され、金一封のご下賜金を賜る。
 午後3時、4時半の2回にも、逆転、横転、キルク抜き、大波状飛行を演じ、ご台覧に供する。第2回飛行の終わりには、高度2mにて豆自動車と競争。
 本日はご下賜金のほか、国民飛行会、京都市立第二商業学校、時事新報よりの金メダルを贈られる。
 日記から、東京朝日新
6月5日(月) 東京府青山練兵場にて飛行大会の最終日、午後に2回飛行。午後8時から夜間飛行、両陛下も台覧。
 ワイルド技師らは日没前に仕掛花火と、機首に青灯(ヘッドライト)/翼両端に赤灯の設置を完了し、日暮れともに深紅の豆自動車で会場に着。新月のこの日、七個の大かがり火を設け、午後7時50分に機体を引き出して発動機点検、8時8分に離陸。高度1,200mで、花火に点火。下翼両端より火炎を奔出。大円を描きつつ、宙返り、逆転連続3回。黒雲中に入って姿を消したが、1,000mの高度に姿を現して、逆転、また逆転の連続11回。飛行時間12分にて、8時20分に着陸。
 この夜、日比谷を中心に二重橋から丸の内一体は群集で覆い尽くされ、洲崎海岸でもよく見えたが、浅草や上野、御茶ノ水では見ることはできなかったとここと。
 日記から、東京朝日新
6月6日(火) 皇居上空近くで御礼飛行。大正天皇の馬術練習にて馬場に出御の時刻に、飛行。
 午後1時頃より宮城周辺に人が集まりはじめ、午後3時5分に会場上空へ到着。三宅坂上空400mから上昇し、霞ヶ関、桜田門にて高度1,200〜1,300mに達して、二重橋から三日月堀より馬場先門の上空にかけて大円を描き、二條の黄煙を吐きつつ宙返り8回、尻落としの格好にて横転1回、螺旋降下200mを行って、宮城を横断、五番町上空で機首を巡らし青山練兵場へ到着。着陸は、3時20分。
 日記から、東京朝日新聞
6月11日( 宇都宮 宝木練兵場にて飛行大会。午後に2回飛行。
梨本宮殿下、同妃殿下の台臨あり、目録一封を下賜。市からも銀製七宝入りメダルを贈られる。
夕方、仙台に向け出発。
 一回目は14:30に離陸、上昇旋回大小2回半の後、1,200〜300mの高度から二條の白煙を引きつつ下降しながらの横転数回、そのまま宙返りに転じて7回、木の葉返しと呼ばれる螺旋降下で200mにまで降り、300mに上昇後に得意の垂直傾斜にて下降、14:50分に着陸。
 二回目は、肩翼から黄煙を引きつつ1200〜300mから逆転横転、錐揉み降下、高度4mの超低空飛行、一旦会場を出て傾斜飛行しながら会場に進入し場内を一周、約15分の飛行を終える。
 日記から、下野新聞
6月13日(火) 仙台の仙台練兵場にて飛行大会、1回飛行。翼上にカイザー助手を乗せ、翼上搭乗飛行を行う。

大正5年6月13日 仙台 大正5年6月13日 仙台 大正5年6月13日 仙台
  大会詳細は To Be Supplied。
 日記から
6月14日(水) 仙台練兵場の地盤は悪いため、宮城野練兵場へ会場変更。2回飛行。
 大会詳細は To Be Supplied。
 日記から
6月16日(金) 北海道札幌市北20条の京都合資会社所有地(運動場)にて、飛行大会。
大正5年6月16日 札幌
2回目の飛行の時(『日記から』には16日は1回しか記載されていない)、発動機停止により墜落。右足2ヶ所を骨折し、入院。全国から7000円以上(参考文献[1]では\7,555)の見舞金が集まる。
大会詳細は To Be Supplied。
 日記から、日本ヒコーキ物語 北海道篇
7月10日 上京。
 
 日本飛行機物語 首都圏篇
7月20日 退院。横浜からエンプレッツ・オブ・ルシア号で帰国の途に着く。
回った都市15市、累計飛行回数56回。
 
 日記から、日本飛行機物語 首都圏篇
    
大正6年
(1917)
 
4月20日 母親を伴い、サイベリア丸で再来日。胸に、昨年贈られたメダルを飾っての入港。
 大正6年4月23日付東京朝日新聞で、母親は来日の目的を尋ねられ、「ホンの憧れです。アートがこの前お国に参った時受けたお国の方のご厚意があまりに嬉しかったのです。アートの父にも日本を見せとうございますが、二十年来の目の病にて視が乏しく、見るのに不便では却って気も焦って疲れることも多くても気の毒と思いましたので、私ばかりが楽しむのは忍ばれない事ですが、そういうわけで私だけ参りました。」と語る。
 東京朝日新聞
4月22日 東京神田の青年会館での英語大演説会に出演。開口、「商売違いで、飛行は楽だが演説は実に困る。」と満場を笑わせる。 萬朝報
4月23日 午前、母親と伴に早稲田の大隈侯を訪問。正午より神楽坂での料理店にて開かれる東京飛行機者倶楽部主催の歓迎会に臨む。
メナスコ技師らは、青山練兵場で2台の飛行機の組み立て。
 東京朝日新聞
4月25日(水) 東京は青山練兵場で謝恩飛行、観衆10万人。アートスミス曰く、事故(昨年6月)以来の飛行とのこと。
写真などから、8号機を使用した模様。
大正6年4月25日 青山練兵場 午前6時に豆自動車をとばして会場に馳せつけ、前日より組み立てを終わっているカーチス90馬力を点検、発動機も試験。その成績がよいため、一旦、帝国ホテルに母親を迎えに戻り、午後1時過ぎ再び会場に到着。(このとき、目に目立つほどのビッコを引いていたとのこと)
午後2時、軍楽隊が君が代を演奏する中、久邇宮ら皇族の台臨。
 午後2時30分、片手を上げながら滑走し離陸。高度800mから宙返り4回、キルク抜き10回(10回転か?)、数回の横転、螺旋状飛行の後に再び、宙返りと横転。高度300mより急転直下して着陸。飛行時間15分。着陸後、寄贈された花環を自動車に載せて、母とともに場内を一周。その後、機体を久邇宮ら皇族の前に進め、ハンドル(操縦輪)を手に宙返りの要領を説明、握手を賜る。 午後4時10分、再び離陸。3,000mに高度を取り、数條の黄煙を曳きつつ宙返り4回、後部を下にして落下(テールスライド)すること50〜60フィート、横転、舞踏飛行、大傾斜飛行、波状飛行の後、4時25分に着陸。
 東京朝日新聞
4月27日 兵庫県鳴尾競馬場での飛行大会のため、大阪に着く。
一行に、「飛行家 高左右隆之」氏((下記注参照))の名前がある。
  
4月28日(土) 兵庫県鳴尾競馬場で飛行大会予定なるも、雨で順延。
翌29日も雨にて順延。
  
4月30日(月) 兵庫県鳴尾競馬場で、午前と午後に1回づつ飛行。機体は、9号機。
長岡中将の紹介で、キャサリン・スチンソン嬢と顔を合わせる。また、スミスの母堂、滋野清武男爵(バロン滋野)の母堂と握手。
大正6年4月30日 鳴尾競馬場 午前は10時50分頃に離陸、離陸後上昇しつつ競馬場を3周して高度800mへ、さらに2000フィートの上空へ上昇後にニ條の黄煙をひきつつ2回の逆転、7回の横転、高度を1300フィートに下げての波状飛行、横転、逆転、宙返りと13回の妙技を披露し、渦巻飛行を行う。更に3フィートの極低高度に降りてアーチくぐりを2回(所謂「地上接吻飛行」はこの演目のこと)、そのまま2600フィート上空に上り宙返りを数回行い、その後また地上接吻飛行を12〜3回行って、11時3分頃着陸。
 午後は、1時頃より豆自動車で曲乗を披露し、本日第2回めの飛行として午後4時前に離陸。上昇しつつ競馬場を3周し3700フィートへ上昇、黄煙を引きながら機首を空に向けて続けざまに3回の逆転を行った後に2回横転。そのままグルグルと渦を巻いて落下(所謂「キルク抜き」)、高度410フィートにて逆転2回を行い、そのまま急転直下を見せてアーチをくぐり、高度100フィートにてジョリーダンス、そして地上接吻飛行後に着陸。
大阪朝日新聞社神戸新報、神戸又新日報
5月1日(火) 兵庫県鳴尾競馬場で飛行。午前(飛行時間14分)、午後(飛行時間13分)の1回づつ。午後はスミスの希望で、青山で一度飛んだきりの8号機を使用。
母親は友禅縮緬をお土産に貰い、この夜、大阪ホテルにて慰労晩餐会が開かれる。
 午後4時、新装なりし8号機に乗り込み、午後4時11分に離陸。5分後に高度1,000mに上昇し、黄煙をはきつつ宙返り、横転、逆転などを20回ほど。高度500mにて推進機をスローにして急降下、アーチをくぐりぬけ、両手をハンドルから離して観客に応え、高度を100mに上げて場内を一周。アーチを再度くぐって、4時23分、着陸。
 8号機は飛行大会終了後、直ちに赤い箱に梱包。
大阪朝日新聞
5月2日(水) 午前中、鳴尾競馬場から大阪城東練兵場に移動。移動の途中、午前11時20分に、大阪朝日新聞社本社の高塔上空で宙返りを披露。
 夜、大坂市民への感謝、朝日新聞への敬意を表すため、9号機を使用して夜間飛行(懸賞飛行)を行なう。この夜、大阪市中は上空を見上げる人で埋めつくされたとのこと。
大正6年5月2日 大阪での夜間飛行 夜間飛行のため、煙火(はなび)を翼に取り付ける作業は、多数の大阪師団将校が見学する中で行われ、午後7時過ぎにようやく終了。
 午後8時39分、大喝采の中、両翼より深紅の焔を吐きながら離陸。離陸後4分50秒後、赤い焔は消えるが、場内を3〜4周しながら高度1,000mに上昇。離陸後7分10秒後、突如、白光爛々と現れ、しばらくして消えるも、11分30秒後、両機翼に6列づつ配列された3,000燭光のマグネシームに点火され、白熱の光、中天に輝く。得意の大円形を描き、宙返りを5度、急転直下の後に着陸。飛行時間14分37秒。
大阪朝日新聞社大阪朝日新聞
5月10日(木) 滋賀県八日市を訪れ、熊木陸軍少尉に就いて取り扱いを学び、「第二翦風号」に岩名助手を乗せ、午後4時半より約50分の試乗。
 
日出新聞
5月11日 午後0時半過ぎ、名古屋に到着。県庁にて知事に挨拶の後、主催者の新愛知新聞社社長や第三師団関係部隊を表敬訪問。
 
新愛知
5月12日 朝、機体組立てを監督。午後は、母親と雨の中、市中見物。
 
新愛知
5月13日( 名古屋市城北練兵場で、観覧無料の飛行大会。
愛知県教育会からメダルを県知事自らの手で、また七宝金台メダルを名古屋市から贈られる。名古屋電灯会社、名古屋経済界、午餐会有志などからの花環も多数。
 午前11時10分、離陸し上昇、11時15分に高度3,500フィート程度に。この時、一羽の鳶が北から南に、飛行機の下を飛んでいくと会場では拍手喝采。
11時20分、高度3,800フィートにて、黄煙を引きながら宙返りを3回、連続逆転、横転、宙返り。11時22分、急転直下してアーチを潜り抜け、地上接吻飛行。11時25分、再上昇して1分後に高度1,000フィートに達し、再度、急転直下、その後来賓席に手放し飛行を見せてから、11時30分に着陸。
 午後は、3時44分に離陸。3時50分、4,000フィートの高度から二條の黄煙を引きながら宙返りを連続9回。次いで螺旋降下、逆転、横転、垂直降下後にアーチ潜り、その後場内を低空飛行して、3時55分着陸。
新愛知新聞社新愛知
5月14日 午前0時41分、特別列車で母親と東上。大相撲見物、日光東照宮参拝の予定。
 
 新愛知
5月15日 国技館にて大相撲見物。
 
 
5月16日 日光東照宮参拝のため、午前8時、上野を出発。
 
 
5月19日(土) 三重県四日市(築港埋立地)で飛行大会、観衆3万。午前と午後に2回飛行。
午前の飛行後、四日市市長より金メダルを贈られる。
 11時30分離陸。高度4,400フィートへ上昇し、白煙を曳きながら宙返り、逆転飛行、渦巻き返し、横転飛行、低空飛行を演じて11時45分に着陸、午前の部を終わる。
 大阪朝日新聞(東海版)
5月21日(月) 三重県津市の久居浜練兵場(歩兵第五十一連隊練兵場)で、午前と午後の2回飛行。長野三重県知事と有田津市長より、純金メダルを贈られる。
 大会詳細は To Be Supplied。
伊勢新聞社大阪朝日新聞(東海版 T6.05.20版)
5月22日(火) 母とともに、伊勢神宮へ参拝。
その後二見を遊覧し、鳥羽の御木本真珠養殖場を見て、この夜、名古屋に引き返す。
 
 大阪朝日新聞(東海版)
5月23日(水) 三重県多徳島にて、正午12:00より飛行。観客2万。
5月17日の(真珠で有名な)御木本幸吉との話し合いにて実施の運びに。長さ60間の地上に狭い場所での離着陸となり、着陸の際、御木本氏は地上でスミスの万歳を、来場者は御木本氏の万歳を唱える。
 
 信濃毎日、伊勢志摩のイカロスたち
5月26日(土) 三重県の宮川磧で飛ぶ。
 
伊勢新報社伊勢志摩のイカロスたち
5月28日(月) 静岡県浜松市練兵場で、午前午後の2回飛行。主催者の記者団からメダルと感謝状を贈られる。
幼少の本田宗一郎氏も観覧。
 午前10時過ぎ、静岡より到着して、会場入り。11時30分過ぎに搭乗し、離陸。場内を4周しながら上昇、高度1,300mから双翼より黄煙を吐きながら宙返りを連続7回、横転5回、逆転5回、キルク抜き数回を演じ、再び高度を上げた約2,000mから急転直下。100mから機首を上げはじめ高度5mから地上接吻飛行、アーチ潜り。11時52分に着陸。飛行時間間18分。
この後、村田通訳とともに同市商業学校に赴き飛行機に関する講話を行う。
 午後3時半に会場へ戻り、豆自動車競争後、第2回目の飛行を行う。飛行時間15分。
 静岡新報、静岡民有新聞
6月1日(金) 大阪市西区の築港池田新田で飛行大会。午前と午後に1回づつ飛び、午前の飛行後に池上大阪市長より、金メダル(金製賞杯とあるが、写真キャプションは金メダル)を贈られる。
 午前11時15分離陸、強い風のため動揺しながら高度3,500フィートに上昇。翼より黄煙を吐きながら逆転7回、コルク抜き、右旋左旋回各5回、高度1,000フィートに降りての逆転数回、横転、木の葉落とし。プロペアを停めての数百フィートの逆落としからアーチを潜り、11時30分着陸。自動車に乗り、場内を一周。
 贈られた賞杯を胸にして午後4時0分に離陸、急角度の螺旋を描きつつ上昇し、高度2,000フィートに。二條の黄煙を曳きながら、5回の宙返り、コルキ抜き、横転、逆転、燕返し。500フィートの低空にて宙返り3回、地上接吻飛行、アーチ潜りを数回。4時15分、着陸。
 大阪朝日新聞
6月2日(土) 大阪市西区の築港池田新田で飛行大会。
 午前11時10分、満場の拍手の中を離陸。2,500フィートの高度から、宙返り数回、昨日よりも低空に降りての低空に降りての、横転、逆転、観客の頭上をかすめる低空飛行の後、アーチ潜りを行って、11時25分に着陸。
 午後は4時から。
 大阪朝日新聞
6月6日(水) 島根県松江市(古志原練兵場)で飛行大会。午前と午後の2回飛行予定も、午前中の雨により、午後3時からの飛行1回のみとなる。飛行時間約14分。市長より、天狗を彫刻した金メダルを贈られる。また、技芸学校高等女学校生徒より、花輪花篭を贈呈される。
(実況記事がなく大会雑感から以下を起す。尚、単位は「m」とあるが、「フィート」の誤りか)
午後3時に離陸、宙返り、キルク抜き、木の葉落としを実施、高度4,500mの高さから約1,000mまで会場北西の松林目掛けて一直線に降下。松林に機体が隠れること1分以上。どうしたかと観衆が見つめる方向とは異なる方向から超低空で会場に進入。
 午後11時44分、列車にて鳥取駅に着。鳥取温泉に宿をとる。
松江飛行後援会大阪朝日新聞(山陰版) 
6月7日(木) 鳥取県鳥取市の第四〇連隊練兵場にて飛行大会、観客5万。
9号機を使用し、午前と午後の2回飛行。午前の飛行後、因伯寺時報社から花環を、高等女学校生徒から真綿製の紅白大鏡餅を、飛行大会後には、鳥取市より国産の白珊瑚ステッキ(丸型と五角形の2本)を贈られる。
 午前10時30分、豆自動車に乗り場内を一周して、観客に挨拶。
 午前11時22分、離陸。場内を大きく左旋回しながら上昇。高度4,000フィートに達したところで、下翼両側のスークポットに点火、白煙を吐き次第に黄煙となるつつ、宙返りを7回。その後横転逆転、横転5回、数字の8字形飛行、反対方向に横転3回。直ちに「木の葉落とし」にて高度3,000フィートから地上数mに急転直下。ちょうど会場付近を通過した列車に接近して頭上をかすめ、そのままアーチ潜り。そのまま観客の頭上すれすれに「地上接吻飛行」を行った後に場内を2周して、11時35分着陸。飛行時間13分。
 飛行後直ちに豆自動車で場内をまわり、その後、丁村八重子嬢(8歳)より因伯寺時報社からの花環、私立鳥取女学校生徒の3名(大賀せつ子、渡瀬えつ子、鈴木君子)より真綿製の紅白大鏡餅を黒塗りの三宝に載せて贈られる。午後は2時40分から再び豆自動車で場内を3周し観客に挨拶。3時過ぎより機体・発動機点検を始めるが吹きはじめた風で「塵がかかった」等により手間取り、午後4時24分にようやく離陸。3回の大旋回で高度を4,000フィートに上げて宙返りを3回、白煙を吐きつつ横転逆転数回、プロペラを停めて左右前後に乱飛行。(この時、玉井中尉指揮の第四〇連隊の機関銃4銃は馬乗り馬場に展開し、3回の一斉射撃訓練を実施。) 急転直下から「アーチ潜り」を実施し、再び高度1,000フィートに上昇させて「木の葉落とし」、赤塗りの翼に夕日が映しながら、そのまま観客の頭上をかすめて、4時41分に着陸。
鳥取後援会(市内両新聞(鳥取新報、因伯時報)後援)鳥取新報、因伯時報
6月8日 次の開催予定地の姫路が師団の特命検閲中とのことで、鳥取県鳥取市に滞在。
豆自動車などで市外浜坂付近の砂漠や松林を散策。午後3時に鳥取温泉に帰り、同地宣教師ベネット氏の訪問を受ける。
鳥取新報、因伯時報
6月9日 鳥取市内の袋川から乗船、千代川口にて舟遊びに興じる。鳥取新報、因伯時報
6月10日 午後2時半、京都に向け鳥取を出発  
6月14日(木) 愛知県岡崎市で、飛行大会。
 大会詳細は To Be Supplied。
  
6月15日 京都にて、飛行後援会の案内で四条南座で観劇。幕間にて雁次郎に花環を贈る 
6月18日(月) 兵庫県姫路市の城北練兵場で飛行大会、17日の予定は雨のため順延。午後に2回飛ぶ。9号機を使用。
 午前11時55分離陸して場内を一周、正午の午砲の時高度2000フィートにあり、3800フィートにてS字飛行を行い、二條の黄煙を吐きつつ5回の宙返り、3回の逆転、2回の横転を見せた後に急転直下して着陸。飛行時間12分。
 午後は4時35分に離陸、場内を3周し高度4200フィートに上昇、二條の黄煙をひきつつ逆転6回、横転2回、木の葉落とし16回を演じ、急転直下にて着陸、飛行時間16分。
鷺城社神戸新聞
6月19日(火) 静岡県静岡市安東練兵場で飛行大会の予定も、雨のため順延。
午後7時半より市内馬場町私立晁陽学校にて、8時より追手町メソジスト教会にて、飛行講演。
 
 静岡民友新聞
6月20日(水) 静岡県静岡市安東練兵場で飛行大会、午前と午後の2回飛行。
午前の飛行後、「4000フィートの上空から見た静岡市街の光景は、樹木があって非常に美しい。殊に南の方にはキラキラとと光った海が見え、それから日本の名物富士山が見え、雲が取れた時には山頂の雪が歴々と見えたのは実に美しかった。北の方遥かに日本アルプスが見え、そして雪があったのも見え、実に壮観であった」と新聞記者に語る。記者団より手文庫を、山口組より花環を贈られる。
 午前8時半より、メナスコ技師が機体組み立てを開始時し、11時に終了。一旦、11時5分離陸するも、点火線(スパークプラグ)不調により、着陸して約10分ほどで交換。
再度離陸のあとは、場内を周回しながら上昇を開始し、11時35分に高度750mへ到達。一旦機首を下げて下降してから再び上昇し、11時37分高度1800mにて二條の黄煙を機尾から引きながら逆転を6回、横転、逆転、宙返り、キルク抜き、木の葉落としと15回も連続演技。最後に垂直降下を行って着陸。
 午後は3時50分離陸。上昇し、4時には機尾から黄煙を出しつつ逆転、横転、逆転を13回、木の葉落とし、キルク抜きを5回、高度800mで発動機を停め急降下し高度50mで水平飛行に移り、その後場内を3周して、4時6分着陸(飛行時間15分)。
 静岡民新聞
6月21日(木) 午後7時、豪雨の中、静岡より京都入り。日出新聞
6月23日(土) 京都府京都市の深草練兵場で、飛行大会。午前と午後の2回飛行、9号機を使用。
豆自動車競走実施の予定も、1台故障、1台は台湾に発送済みにて中止。
 午前11時47分離陸。場内を周回してその4周目、高度3,800フィートにて宙返り10回、横転、木の葉落とし、逆落とし、アーチ潜り、接吻飛行2回の後、着陸。飛行時間14分。着陸後、「成駒屋」雁次郎から花環を贈られ、握手。
 午後、修理なった豆自動車にて場内を一周。李王世子殿下の台臨あり、拝謁。
 午後4時15分、離陸。場内上空を一周の後、高度1,000フィートにて機体に結び付けていた袋を破り、中から風船玉をヒラリとさせる。その後、場内上空を東西に飛行しながら上昇。高度4,000フィートから一抹の黄煙をなびかせて、宙返り5回、木の葉おとし、逆転3回、空中滑走転回飛行、逆落とし。両手を上げての観客の歓呼に応えながらの低空飛行、アーチ潜り、地上接吻飛行、4時33分着陸。飛行時間18分。着陸後、李王世子殿下より、金百円を賜る。また、東本願寺句仏法主、学生服姿の新法主も参観。
 日出新聞、大阪朝日新聞(京都版)
6月29日(金) 神戸からアメリカ丸で、台湾へ渡る。
 
 大阪朝日新聞
6月30日(土) 台湾 台中練兵場で飛行。
 
  
7月1日( 台湾 嘉義 小学校裏の畑を整地した会場で飛行。
 
  
7月3日(火) 台湾 台南練兵場で飛行。
 
  
7月4日(水) 台湾 台北 古亭庄練兵場で飛行。夜間飛行も行なう。
 
  
7月6日 日本へ向かう。
 
  
7月9日 朝、神戸に着。
 
 信濃民報
7月12日(木) 長野県松本市の歩兵五十連隊練兵場にて、午前と午後の2回飛行。午前の飛行後に小里松本市長から記念メダル、感謝状、花輪を送られる。参考文献[1]に、当地での写真数枚あり。
新聞記事では、「スミス氏低空飛行、転回飛行の妙技、格納庫より機を引き出す祭のスミス氏、将に飛行せんとするスミス氏と母堂、大冒険宙返り、地上キッス飛行実況の6種類1組を、10銭にて飛行会場にて販売」とのこと。
 午前の飛行は、11時30分機上の人となり、11時40分離陸、高度1200mに達した後(離陸後5分31秒)黄煙を主翼両端から放出、宙返り3回、逆落としにて500mに降りて横転、螺旋飛行、800mに上昇して八方乱雑に飛び上がり舞下がり(約8分)、500mくらいの高度から地上付近まで降下して場内を一周、飛行時間14分26秒にて着陸。
 午後は3時40分からは、豆自動車にて会場を乗り回し、愛嬌を振りまく。
 午後の飛行は4時から。離陸後、場内を一周して上昇、6000フィートに達した後に、黄煙を吐きつつ宙返りを5回(「青く赤く染め分けられたる機翼の表裏が日光に映じて・・・」とあり、主翼の色が上下翼またはその上下面で違っていた模様)、横転、逆転の後、木の葉落とし、500mに降りてから1000mくらいに急上昇して急転直下、横転4回、1旋回、発動機を停止させて空中滑走してアーチを潜り抜け、大きく円形に旋回して、4時21分に着陸。
 飛行後、村田通訳を介して「昇騰して高度数百フィートに達すると天守閣が見渡せたものだから、堪らなく嬉しくそのまま市街の上空を飛んで天守閣の訪問をしたが実際愉快だった。」の談話を発表。

 尚、午後の飛行の際、歩兵五十連隊のある一部ではスミス機を目標に飛行機射撃演習を行った。スミスも了解済みで、6,000フィートに上昇したのもこのためだった模様。結果としては、係の将校には得るところがあったらしいが、兵は飛行見物の方が忙しかったらしく教えた通りには行かなかった模様。
松本市スミス氏飛行大会信濃民報、信濃毎日新聞
7月14日(土) 新潟県高田市中田が原練兵場で、午後に飛行。観衆3万。
飛行中プロペラ覆いが外れて下翼を傷つけ、張線を切断されたことにより、急遽着陸。さらに着陸後の点検にて、発動機の数箇所に亀裂も発見され、2回目の飛行は断念。飛行大会は中止。
 午後1時56分、離陸。場内を2回半周回して高度3,000mに達した時、風に煽られてつつ500mほどを直下、左翼を下に横転しようとした際故障を発し、発動機を停止したまま垂直落下してそのまま着陸。飛行時間11分。
高田市臨時飛行奨励会新潟毎日新聞
7月15日( 新潟県高田市中田が原練兵場で、午後に2回飛行。
倉石高田市長より、銀メダルを贈呈される。
大正6年7月14日 高田 午後1時35分、離陸。高度2,000mに達すると、翼端から一條の白煙を吐きつつ宙返り、逆転、横転、木の葉落とし、逆落とし、更に逆転10数回。「空中滑走」にて降下し、地上10数mのとことろにて機種を立直して地上接吻飛行、波状飛行、観衆の頭上を擦れ擦れに飛行、最後に高さ約70フィート・幅100フィートのアーチを潜って、1時50分に着陸。
 2回目は、午後3時45分に再び離陸。高度2,000mから一回目と同様に演技。飛行時間16分。汗をかきながら市長よりメダルを受ける。
 
高田市臨時飛行奨励会新潟毎日新聞
7月16日(月) 長野県長野市丹波嶋河原で、午後に1回飛行。観客5万。牧野長野市長より金メダル、商業会議所からの花輪を贈られる。
もう1回の飛行予定だったが、主催者側の飛行契約金未納により、キャンセル。折からの猛暑ともあわせて観衆は嘲罵を浴びせ不穏の状態になり、警官に制止されて事なきを得る。
 午後12時42分に離陸。周辺の丹波嶋橋、芹田、安茂里村小市〜笹井村などの上空を経て会場上空3,000フィートに達し、黄煙を吐きながらの宙返り4回、キルク抜き、横転などを数回づつ、地上からの歓声に両手を振って答える。その後、急転直下して10数フィートにまで急降下、会場北側の団体席上を低空飛行して、12時52分に着陸。
 飛行後、「長野市街は眼下に広く展開し、その高いところにテンプルの善光寺がドッシリと控えておりましたが、これは見ものでした。」と語る。
 尚、この日は暑く、午後2時頃、真っ裸になって会場の犀川で30分ほど水泳する。午後3時、金メダル、花環を送られる。
大正魁新聞、長野市の塚田金吾、堀込熊蔵信濃毎日新聞
7月17日(火) 昨日よりの主催者との第三者による調停により、「長野市民の厚意に対し敬意を表するもの」として無料飛行大会(会場は昨日と同じ)。長野市上空にて数回の宙返りを行い、その後次の開催地(群馬県)に向かう。
 午前11時5分に長野県長野市丹波嶋河原を離陸。高度3,000フィートにで長野市上空にいたり、3回の宙返りを実施。その後、会場上空に戻り横転2回を行い、11時13分、空中滑走にて着陸。
 飛行後、「私が今日の飛行の目的は長野市民の厚意に対し経緯を表するのでありあましたから、離陸すると同時に直ちに上舵をとりつつ善光寺を目標にして長野市の上空に出でて市の中央上空3,000フィートの高所で宙返りを三度しました。これより先、市民はプrッペラの音を聞きつけたと見え、往来や庭に出て盛んに帽子やハンケチを振って居るのが見えました。この時、私は自分の希望が達せられたと思うと実に愉快でした。」と語る。
午後9時35分、列車にて前橋に着。
信濃毎日新聞
7月18日(水) 朝、前橋大会会場を検分し、滑走場のみを公園下の利根川河原に変更を決定。
 前橋午前9時26分発の列車にて桐生に向かい10時30分着。東武線相老駅前の飛行場にて飛行大会。観客2万、2回飛行。
 午前11時50分、離陸。4,000フィートの高空から、横転と逆転を各8回、キルク抜き12回、波状飛行5〜6回を行い、12時に着陸。
 午後3時50分、再び飛行。
 午後7時5分、群馬県前橋市に着。提灯行列の出迎えを受ける。
上毛新聞
7月19日(木) 群馬県前橋市公園で2回飛行。1回目の飛行後、木村前橋市長より純銀製洋杯、後援会より花環、丸交共同交水丸と各製糸場より真綿製チョキ等を贈られる。
「9号機を組み立てた」という記事があり、「高左右隆之(下記注参照)氏と旅館を出て」とも。
飛行大会終了後、午後5時40分、水戸へ向け出発。
 午後1時13分、離陸。市街上空を廻って高度3,000フィートに上って市民への答礼となし、さらに上昇して高度4,300フィートへ。左翼より煙(「その色、時に青く、時に白く」と新聞記事にあるが詳細不明)を吐きつつ、宙返り8回(宙返りのスーと横に伸びた所謂「テレススロープ」とある)、横転、高度1,000フィートに降りての「印度踊(ジョリーダンスのことか?)」、800フィートから急降下して、1時23分に着陸。この際、ブレーキを小破。
 2回目は午後2時47分に離陸。煙の筋を明らかにしながら高度5,500フィートに達しての宙返り、キルク抜き、宙返り2回、横転2回、宙返り3回、高度を600フィートに降り爆音を停めての急転直下、会場を河原のように飛ぶ「水潜り」、2時58分着陸。
尚、この日の午前中、馬車により丸交組製糸所、一毛町交水社などを見学。
前橋スミス飛行後援会上毛新聞
7月20日(金) 茨城県水戸市外の堀原練兵場にて、午後に2回飛行。1回目の飛行後、川田水戸市長より金杯を、主催者より花環を贈られる。また、来場した国民飛行会長 長岡中将と握手。
 午後1時、格納庫より飛行機を引き出し、搭乗。離陸後、会場に設けられたアーチをくぐって上昇、60mの高度にて会場を周回しつつ上昇し、急転直下してまた急上昇、また急降下して逆転、木の葉落としなどを演じ、飛行時間12分にて着陸。
 午後4時5分、再び離陸。飛行時間、15分。
茨城毎日新聞東京日日新聞 茨城版
7月23日(月) 午前9時40分、山形県山形市に着(母親は前日に着)。市内の練兵場で、午前と午後の2回飛行、観客約10万。
小鷹山形市長より銅製の馬の置物、伊藤嘉平治氏より鉄瓶、ある青年より県下百景の写真帖を贈られる。午後6時20分、秋田に向け出発。
 午前11時5分「高左右氏をしてプロペラーを回転せしむ」のち、11時7分に離陸。場内を一周して高度300mに、さらに上昇して高度1,200mへ。左翼より黄煙を吐きつつ、連続宙返り、続けざまに6回、逆転2回、プロペラを止めての木の葉とし、降下しながらの横転数回、再びプロペラを緩めてのアーチ潜り、地上接吻飛行から場内を低空で一周。黄煙を吐きながら着陸。豆自動車に乗って場内を一周。
 午後3時5分、離陸。高度3,000mより逆転、横転、キルク抜き、波状飛行など。最後に高度7〜800mから急転直下して2〜300mに、その後更に低空に下りて場内を一周、アーチ潜りの後に着陸。午後3時32分。
 山形新聞
7月24日(火) 秋田県秋田市の八橋競馬場で飛行、観客5万。2回の飛行。
大正6年7月24日 秋田 午後1時半に離陸。高度2,000フィートまで上昇し、午後1時37分、宙返り、逆転、急転直下、横転、螺旋、木の葉落とし。1時40分、低空に下りて場内を二周。その後、また横転と逆転、プロペラの音かすかに急転直下して、1時50分そのまま着陸。豆自動車に乗って、場内を一周。
 2回目は、午後2時半に離陸。高度2,000フィートから市街訪問飛行。場内に戻った後、横転、逆転、垂直降下より傾斜飛行、接吻飛行、高度500フィートの低空にて狂的回転、大円形を描きながらの場内一周後、2時35分に着陸。

 秋田魁新報
7月28日(土) 新潟県新潟市(関屋競馬場)で午後1回飛行。飛行後の感想を求められたスミスは、「大変飛びごこちがよかった。こちらには海がある、こちらには川がある、大変涼しかった。飛行はわたしの避暑旅行です。」と新聞記者に語る。
大正6年7月28日 新潟 午前11時37分、離陸。高度1,500フィートにて場内を50秒間で一周、2周・3周とするうちに4,350f−トに上り、宙返り7回、横転、逆転、また横転。赤黒い飛行機の腹が日光に映えながら、キルク抜きを3回、発動機を停めての急転直下から、アーチ潜り(アーチは高さ10間、幅10間)、地上接吻飛行、空中滑走を演じて、午前11時52分に着陸。飛行時間15分。

 
新潟市飛行後援会新潟毎日新聞
7月29日( 安息日。早朝、アート、メナスコ技師らは関屋競馬場に赴き、機体の平均重量をはかり、午前5時半頃から、メナスコ技師の操縦(アート同乗)で五十嵐浜保方面に数回の飛行を実施。
正午は、米国人牧師オールヅ氏の招きで、メナスコ氏とともに午餐を受ける。
 
 新潟毎日新聞
7月30日(月) 新潟県新潟市(関屋競馬場)で午後午後と2回飛行。観客2万。
また、米国政府より「招聘したきに依り、来月7日発の汽船にて帰国されよ」の電報を受け取る。
 午前11時17分に離陸、場内を3周回して高度4,500mに。宙返りに7回に始まって、横転、逆転数回、発動機を停めての「クルクル」と錐揉み、発動機の回転を挙げての横転逆転10数回、地上50間にての横転(「機上のアートスミスの横文字がはっきり見える」とあります)、再びは輸送機を止めての木の葉落とし、アーチ潜り。この日は、アーチに長く垂れる紐に無数の小旗が連なって付けられており、アーチ潜りの刹那、アートがそれを掴んで「雷のような拍手」。その後、地上接吻飛行での場内一周を経て、11時30分、着陸。飛行時間13分。着陸後、豆自動車にて場内を一周。
 午後は2時50分離陸、1,000m余の高度から数回円を描きながら周回、その後宙返りから降下し地上5〜600フィートの時点で、機尾より黄色煙を吐きながら回転、予定通り、ローマ字を以って新潟を書きたる後、地上高度数間まで急転直下、予め豆自動車に乗って待っていたメナスコ技師との競争で場内を3周。飛行時間20分。
 
 新潟毎日新聞
7月31日(火) 長野県松尾村字沖ノ島で午後2回飛行、観客3万。
二回目の飛行は、飯田町を上空から訪問。飯田町松尾村から記念メダルを贈られる。高左右隆之氏同行。
尚、本飛行大会は、度重なる期日延期、飛行会場の変更等があった。
 午後1時、天竜川の瀬音を掻き消しながら離陸。場内上空を3周して高度を2,000フィートに。そのまま機首を上げて宙返り、逆転、横転、急転、キルク抜き、印度踊り、木の葉落とし。飛行時間、10分24秒。
 午後3時17分に離陸。場内上空を2周半した後、座光寺原から上郷村黒田の上空に出て飯田訪問飛行。市街上空3,000フィートにおいて、3時25分、宙返りを開始。横転、逆転、キルク抜きを演じた後に会場へ戻り、高度4,500フィートから横転2回、逆転3回、キルク抜き、木の葉落とし。高度600m(フィートの誤植?)から1500フィートに上昇して発動機の回転を止め空中滑走で着陸。
飯田飛行会南信新聞
8月2日(木) 三重県 呉羽川で飛行。  
8月4日(土) 広島県福山市で飛行大会。(但し、新聞記事では未確認)
 
  
8月7日(火) 鹿児島県鹿児島市天保山で飛行大会。午前、午後の2回飛行。(当地で撮ったと思われる新聞記事写真では、8号機が見える)
 山本市長より金メダル、明治屋呉服店から花輪を贈られる。
 午前11時49分、モートルの爆音勇ましく離陸。3〜4,000フィートに上昇、宙返り、横転、逆落としなどを演じ、約10分の飛行時間で着陸。
 午後は4時から飛行。
鹿児島日報鹿児島新聞史
8月9日(木) 福岡市(福岡場外練兵場)で飛行大会、観覧無料。
 午前11時19分エンジン始動。11時21分離陸、2000フィート上空にて大きく旋回し、3000フィートへ上って宙返り4回、逆転4回、キルク抜きで2000フィートへ降り、横転6回。その後、発動機を停止しての空中滑走にて急転直下しそのままアーチくぐりを行い、観衆の頭上をかすめての地上接吻飛行を経て着陸。飛行時間12分。
 午後は3時27分に離陸、飛行場を周回しながら上昇して高度3000フィート、宙返り4回、逆転3回、高度を800m(ママ)にて横転4回、キルク抜き、再び宙返り3回逆転2回、「木の葉落とし」、アーチくぐり、地上接吻飛行、両手を離して場内を4周し、午後3時39分着陸。井出福岡市長より金メダル(純金製、市徽章を刻した三角形で、裏に「贈スミス君.福岡市長井出三郎」)を贈られる。
福岡市3新聞社後援福岡日日新聞
8月11日(土) 愛媛県松山市堀之内練兵場(歩兵第二十二連隊練兵場)で、午前と午後の2回飛行。午前中に観客4万人。使用機は9号機、高左右隆之氏も同行。
長井松山市長から金メダル(東京三越製、表面は松山城)を贈られる。
 午前11時37分、離陸。数分をかけて場内を2周半しながら高度を5,000フィートに上昇、二條の黄煙を曳きながら「機を直立にして」一回目の逆転から連続3回、横転数回、錐揉み、横転、逆転、直上、直下。11時50分に着陸。場内狭隘のため、(用意してあった)アーチ潜りは中止。
 午後は、次の和歌山への移動のため、予定を1時間繰り上げて実施。午後2時45分、豆自動車(第4号車)に乗って、場内を一周。午後2時53分に離陸、雲が出ていたものの、約10分の飛行。
海南新聞海南新聞
8月13日(月) 和歌山県新宮速玉神社下権現河原にて飛行大会。午前8時半、急行船にて松山より着。午後に2回飛行。
 第1回めは午後1時50分に搭乗し離陸、最高4350フィートの高度から逆転乱舞の後、2時に着陸。2回目は午後3時40分〜午後4時。
 尚、紀南新報では「第1回めは午後1時50分〜2時、一旦着陸して一時休憩。その後、午後4時に離陸。2回目は更に・・・」と3回飛んだような記事になっているが、他紙ではその旨の記載がないことから、何かの手違い記事になってしまっている模様。
 和歌山新報、紀南新報、大阪朝日新聞
8月16日(木) 午後9時半着の船にて、函館に入港、同行は、母、櫛引支配人、桝谷・村田両中尉、技師メナスコ、伊松通訳。
 
 小樽新聞
8月17日(金) 北海道函館の桔梗野にて、午前と午後の2回飛行。観客3万人。
 午後12時5分、離陸。右手をあげて来賓席に挨拶しつつ上昇、場内を一周半しながら更に上昇し、高度2,500フィートへ。宙返り4回、逆転3回、横転3回、逆転周回。発動機を停めて急降下、3,200フィートに急上昇して横転からの急転直下の後、12時15分、着陸。
 小樽新聞
8月18日(土) 北海道倶知安町(会場は、北二線九号の畑地)にて飛行大会、午前と午後の2回飛行。新聞記事写真では、9号機の模様。後援会より、白地縮緬に紫文字で「贈スミス氏飛行後援会日本倶知安」と装飾のはいった花輪を贈られる。
 午前11時37分離陸、2〜3回会場を周回し、風が強かったため高度を6000フィートにとり宙返りを4回、4000フィートに落としてインディアンダンス、高度を5000フィートにあげて錐揉み飛行(9回)、2回の横転。その後発動機を停め、機尾を下方にして「木の葉落とし」(北海道では初披露)、更に横転を行いつつ、高度を1500フィートにて再び発動機を止めて急転直下、空中滑走を行って、11時50分着陸。
 午後2時20分、クランクシャフトの故障を発見し。交換。
 午後2時36分に離陸、2000フィートの上空にて逆転4回、横転1回、発動機を止めてのキルク抜きから横転、高度1200フィートにあげ逆転1回、発動機を止めて空中滑走し5フィートの低空を飛行、800フィートにまで上昇後して場内を半周した後、午後2時26分に着陸。
アートスミス後志飛行大会小樽新聞
8月20日(月) 北海道旭川の練兵場にて飛行大会、観客約2万。午前と午後の2回飛行。広田北海新聞社社長から金メダルを、師団代表の第二七連隊河野中佐からの謝辞を贈られる。
 午前9時よりメナスコ技師、伊松氏らと機体組み立てを開始し、11時47分に離陸。高度600フィートにて旭川市街上空を一周、6,000フィートに達してから、宙返り、横転、キルク抜き。高度3,500フィートにて発動機を停め機尾を後方に急転して木の葉落とし、横転と逆転を10数回、高度1,000フィートから急降下して地上接吻飛行、再度800フィートへ上昇した後空中滑走で着陸。飛行時間15分。
 小樽新聞
8月22日(水) 北海道帯広町で、午前と午後の2回飛行。但し、午後の飛行前に天候悪化、追い風離陸を試みたが、滑走距離が伸びたため柔らかい地面に車輪を取られプロペラを小破。主催者と競技の結果、23日に再度飛行となる。
 午前9時半よりメナスコ技師とともに機体組み立てを開始。鳥打帽を被って離陸、急上昇して場内を一周しつつ高度1,000mに上がり、宙返り、横転、キルク抜き、その後高度3〜400mまで急降下し着陸。飛行時間15分。着陸後に豆自動車で場内を一周。
 北海タイムス
8月23日(木) 北海道帯広町にて、再度飛行大会。
 
 小樽新聞
8月24日(金) 北海道釧路(鳥取村飛行場)にて飛行大会、観客3万。釧路飛行会を代表して釧路毎日新聞社長より花環を贈られる。
 23日終列車にて釧路に着。24日は正午に離陸し、高度3,200フィートに上昇し、横転、逆転、木の葉落としを演じて着陸。着陸後、豆自動車にて場内を一周。
 小樽新聞
8月27日(月) 北海道小樽市(花園公園)で飛行。午前中の観客は不明だが、午後は著しく減少して2万人程度とのこと。
 午前11時30分、メナスコ技師らとともに機体組み立てを完了し、11時45分に離陸。場内上空を3〜4周しつつ高度を3,000フィートにとり、横転3回、7回転のキルク抜き、逆転、1,200フィートに降下して横転4回、1,100フィートで3回の横転、800フィートに降りてまた横転、急降下して空中滑走、そして地上接吻飛行を演じ、場内を一周して着陸。飛行時間14分。
 飛行後に豆自動車にて場内に挨拶。その小樽新聞社よりの花環が理事令嬢の矢上千恵子さんから、永井金次郎飛行後援会長よりの金製メダル、小樽飛行研究会よりの花輪、花園町二六堂のステッキ等を贈られる
 午後は2時40分に離陸、高度2,000フィートにて宙返りを4回、横転3回、宙返り、逆転、横転、テールスライド、発動機を停めての急転直下での着陸。飛行時間10分。午後4時20分に、札幌へ向け出発。
 小樽新聞
8月28日(火) 北海道札幌市(昨年と同じ北19条西5丁目の京都合資会社所有地)で飛行。午前の飛行後、「極めて愉快な飛行でした。自分が一個年間神の恵みによって健全なる身体に復し、再び札幌区民に見(まみ)えることのできたのは、深く天恩に感謝する次第です。」と語る。
 午前9時、メナスコ技師、伊松執事らにより機体組み立て着手。これより前に、メナスコ技師は豆自動車で立錐の余地もないほど満員の場内を一周、スミスと間違えられ拍手喝采をあびる。機体組み立て完了後、スミスも豆自動車で場内を二周。
 午前11時20分、離陸。会場上空を3周しつつ上昇、4,200フィートの高度から逆転7回、8回転のキルク抜き、宙返り、横転と逆転を交互に演じ、高度800フィートから急降下での地上接吻飛行、両手の手離し飛行を披露した後1,100フィートの上空へ再度上昇、急転直下して着陸。飛行時間18分。
 午後は、1時55分、離陸。1,500フィートの高度にて市中を訪問。大通上空にて逆転を1回披露、会場に引き返して3,500フィートの上空にて逆転5回、7回転のキルク抜き、横転2回を演じ、2時7分、着陸。飛行後、豆自動車にて場内を一周。
北海タイムス北海タイムス、小樽新聞
8月29日(水) 北海道滝川町蕉競馬場にて、飛行大会。入場者5万以上(主催者側発表)。午後と午前の2回飛行。
 前日の午後9時半、滝川入りし、翌午前8時メナスコ氏とともに飛行会場入り。機体点検の結果「舵翼を支える竹柱に損所ある」(ママ)を発見、ブリキを以って修理。
 午前11時36分、離陸。滝川市上空を東から北へと2周して1,600フィートへ。更に3,200フィートへ上昇した後、逆転5回、木の葉落とし、急転直下にて着陸。飛行時間11分。着陸後、豆自動車で場内を一周。 午後1時22分、再び離陸。会場上空を3周しつつ上昇、高度3,000フィートへ達し、逆転7回、横転6回、逆転2回、木の葉落とし、逆転3回、高度を下げて場内を一周した後、急上昇から急転直下して着陸。飛行時間9分。 「今日は天気もよく、気流も申し分ないので真に気持ちのいい飛行でした。何分出発を急ぐので長く引こうすることを許さないのを遺憾とします」と語り、直ちに期待の分解を開始し、午後4時2分発の列車にて清水沢に向け出発。
(木工工場主)小野與太郎、北海タイムス後援北海タイムス、小樽新聞
8月30日(木) 北海道夕張(清水沢)にて、飛行大会。午前と午後の2回飛行、午前の飛行後、中崎村長の令嬢静子さんから花環を贈られる。
 午前11時25分、離陸。4,500フィートの上空にて、逆転4回、キルク抜き、横転数回を演じて着陸、飛行時間14分。
 午後は1時15分に離陸、6,000フィートまで上昇し、逆転5回、キルク抜き、逆転3回、横転3回、急転直下して着陸。飛行時間15分。午後2時閉会、4時50分に室蘭に向かう。
夕張実業団小樽新聞
8月31日(金) 北海道室蘭町(輪西西中島神社付近)にて、飛行大会。観客約3万人。後援会長の中村俊清氏よりメダル目録、楢崎令嬢より花輪を贈られる。
 午前10時離陸。上昇後、横転と逆転を数回、宙返り後に着陸。
 午後は1時半に離陸するも、雲が多くなっており、機体が全く見えないこと数分。それでも宙返り、キルク抜き、連続宙返りを見せた後、急転直下にて着陸。
室蘭毎日新聞北海タイムス、小樽新聞
    
9月13日(木) プサン(釜山)にて飛行大会。 飛行家をめざした女性たち
9月16日( ソウル(京城)にて飛行。 飛行家をめざした女性たち
9月17日(月) クンサン(群山)にて飛行。 飛行家をめざした女性たち
9月27日(木) 夏河家子(大連から列車で52分)にて飛行。 飛行家をめざした女性たち
10月8日(月) 営口で飛行。 飛行家をめざした女性たち
10月9日(火) 上海で飛行。 飛行家をめざした女性たち
10月26日 横浜からサイベリア丸で、帰国の途に着く。 日本飛行機物語 首都圏篇

(注1)高左右隆之・・・飛行家、アメリカ発行の万国飛行免状219号(1913年3月)取得。大正3年(1914年)6月、帝国飛行協会主催の第一回民間飛行競技大会(於鳴尾競馬場)に参加し、滞空時間部門で2位となる。