助手
助手はお揃いのツナギを着ていることがあり、背中には、アートのイニシャル「AS」を図案化したロゴマークが入っています。
絵葉書はそれを示す写真なのですが、残念ながら、裏焼きになってしまってます。
あと、興味深いのは、大正6年のツアーに、高左右隆之氏が同行していることです。
現時点で、、鳴尾への大阪移動(T6.04.27)、前橋(T6.07.19)、山形(T6.07.23)、飯田(T6.07.31)での同行を、新聞記事で見ることができます。
高左右隆之氏は飛行家で、アメリカ発行の万国飛行免状219号(1913年3月)を取得。大正3年(1914年)6月、帝国飛行協会主催の第一回民間飛行競技大会(於鳴尾競馬場)に参加し、滞空時間部門で2位となっています。
参考文献[3]によると、大正5年の時は大勢による一行(総勢23名)だったのですが、二度目(大正6年)の時は、アート、母親、メナスコ、一人の日本人助手となっています。この日本人助手が高左右氏なのかはまだ調査中です。