2度の来日とも、2機を持ってきています。
機体は両方ともカーチス・ヘッドレス・プッシャーで、その名の通り推進式機です。左のカラー写真は、それに近いと思われるNASM(National Air and Space Museum、米国)の展示機(モデルD)です。
大正5年に撮影されたとされる写真では、補助翼は上翼についているのですが、大正6年の機体と思われるもの(彩色絵葉書)では、独立して翼間にあります。ただその位置はかなり上翼に近いところにあり、NASM展示機とも異なっているように見えますし、NASM展示機は上下翼がほぼ同じ幅であるのに対して、スミスの機体は下翼がかなり短いものです。スミスの機体の方がNASM展示機よりは、時代が後のようの思われます。
機体は彼自身の手による改造が施されているようで、主な機体構造と油送能力の強化と云われています。
また、参考文献[3]によると、
操縦系統は操縦輪とフットバーで行われるが、現状とは異なり、右は座席上のアートで、高度計の左足への括り付けが見えます。但し、スロットルや回転計らしい物は、手持ち絵葉書では見つけられていません。座席の右側にある物(操縦席内の紫外線灯みたいなもの)にエンジンからのワイヤが伸びてきているようなので、エンジン制御用だと思われるのですが。
・操縦輪:方向蛇制御(現状は、補助翼)
・フットバー:補助翼制御(現状は、方向)
になっており、フットバー付近にはスロットルがついている。また、回転計はフットバー付近にあって、高度計は懐中時計サイズの物を操縦者の足に括りつけていたとのこと。
現時点なりに機体の特徴をまとめると、次のようになります。
項目 | 大正5年 | 大正6年 |
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機種 | ヘッドレス・プッシャー2機 『日本の航空史(上)』のヘッド有り型プッシャーは、『写真で見る航空史(上)』『航空70年史 1』からも、マースの機体と思われる) |
ヘッドレス・プッシャー2機 |
翼幅 | 上翼34 フィート、下翼25 フィート 幅(翼弦?)4 フィート (大正5年3月19日付 東京朝日新聞) |
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主翼 | 、大正5年5月3日名古屋にてワイルド技師が"ART SMITH"の白文字を塗ったという記事があり、「機体の塗替えを行い、支柱も翼下面も深紅に、翼上面には文字を白で書き、それ以外は黒に」という新聞記事(大正5年5月31日付 中国新聞)もある。 上翼上面の"ART SMITH"は(札幌での絵葉書で確認できます) |
「双翼上蓋にアートスミスと大文字を現し」という新聞記事(大正6年5月1日付 神戸又新日報 )があり、アーチくぐりをしている絵葉書や新愛知(大正6年5月14日付)の新聞記事でもそれを見ることができ、左翼上面に「ART」、右翼上面に「SMITH」と見える。 また写真/絵葉書等では未確認ですが、「青く赤く染め分けられたる機翼の表裏が日光に映じて・・・」という記事(大正6年7月14日付 信濃民報)から、表(上翼またはその上面)/裏(下翼またはその下面)で赤/青に塗られていた機体があった模様 |
補助翼 | 上翼にある | 上翼に近い位置にある、独立補助翼 |
垂直尾翼 | 米国旗を彩った方向舵(大正6年4月9日付 東京朝日新聞) | 三色(上から赤、白、青)のストライプの繰り返し |
水平尾翼 | 左右に別野球のホームベースのような形(変形)を1枚づつ | (未確認ですが)左右一体の半楕円形?の機体もあった? |
エンジン | カーチス90馬力8気筒 (100馬力記事のあり) |
カーチスOX 100馬力 |
重量 | 405 kg(108貫目、3.75kg/貫で換算)(大正6年6月18日付 静岡民友新聞) | |
速力 | 60 マイル/時 | |
飛行時間 | 耐久時間30分(大正6年6月18日付 静岡民友新聞) | |
機番 | なし | ラジエータに黄色で「8」 新聞記事や絵葉書では「9」もあり。来日当初、8号機は予備的機だったが、次の開催が遠隔地の場合、東京から前もって送っていたようで、必ずしも予備機の位置付けではなかった模様。 |